マレーシアより日本の道路の方がきれいという事実に見える真実
- 2018.03.06
- マレーシアで生活
スラマッパギ!
昨日一旦、マレーシアから日本に帰ってきた。
そして、東京に着いたときに改めて認識したことがある。それは、やっぱり日本の道路の方がきれいだということ。
クアラルンプールの道路と日本の道路
マレーシアの首都クアラルンプールに滞在して驚いたことの一つに道路状況がある。
発展途上国だから、汚いとか手入れがしっかりされていないということはある。でも今回はそういう話じゃなく、道路の配列や構造についての話をしたい。
というのも、クアラルンプールの道路は例えるなら「ジェットコースター」。
あちこちで起伏が激しくて上に行ったり下に行ったりするだけじゃなく、ぐるーっと一回転したりもする。そして道路が入り乱れすぎてて、まるで迷路みたいに複雑。だから道を覚えるのも大変だ。
何よりビックリしたのが、通常の道路と高速道路が直接つながっていること!
というより高速道路が通常の道路のようになっている。
さらに、高速道路を使わないと行けないところもある。
あまり言いたくないけど、はっきり言って、クアラルンプールの道路はカオスだ。
一方で、日本はそんなことがない。
さっき羽田空港近くの道路を見たときに確信した。やっぱり日本の道路の配置や構造は抜群にきれい。
起伏が激しいわけでもないし、グルっと回るわけでもない。高速道路と通常の道路の境目は必ずインターチェンジで分かれている。
だから当然、道路の道順も覚えやすくて人に優しい。
道路にも人柄が表れる
こうして、クアラルンプールと日本の道路を比較して思ったことがある。
それは、道路にも人柄が表れるということ。
道路はもともとそこにあったわけじゃない。
国に住む人がいて、車が生活に使われるようになり、必要になったからできたものだ。そして、その道路を作るのは国の人々。
つまり、日本なら日本人だし、マレーシアならマレーシア人だ。
人が作るものは、事前に設計される。
設計には、当然、人間の性格やくせが反映される。だから道路にも同じように国の人柄が表れてしまう。
それが、日本人らしさ、マレーシア人らしさといったものだ。
今回道路を見たことで、やっぱり日本人は、細かなところまで目を行き届ける配慮があるんだな、と改めて実感できた。
やっぱり、そこにいるのは人
人の作るものでも、行動でも、態度でも、何でも自分たちの外側に見えるものはすべて、ぼくたちの考え方がもとになっている。
たとえ、それが国という、たくさんの人が作り出すとてつもなく大きな規模のものであっても同じだ。
それに人が関わる限り、その事実は変わらない。
これはいろいろな場面で通じる話だから、どんな時にも人の考えがベースにあることを覚えていたい。
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