「本質探しが好きな人」野間由夢プロフィール
はじめまして、本ブログ「えんがわトーク」の管理人、ゆうむ(@yumun216)です。
今回は、ぼくのプロフィールをご紹介しようと思います。これまでのぼくの迷走っぷりをどうぞご覧ください。
プロフィール
名前は、野間由夢(ゆうむ)です。
名前の由来は、字の通り「自由な夢を持って欲しい」ということからです。その結果、自由を求める人間になってしまいました。生まれたのは1994年で、鹿児島育ち。
生まれてから23年間ずっと鹿児島にいたため、日本語は鹿児島弁になまってます。といってもイントネーションだけです。おじいちゃん世代と会話すると8割何言ってるか分かりません。
相応の場では標準語を貫いてますが、なんか標準語って自分じゃないみたいで疲れるので、基本鹿児島なまりです。
今していること
写真に影が入ってしまってますが、現在は、常夏の国マレーシアに大学留学しています。大学はAPUで専攻はメカトロニクス工学です。今のところ、工学系の学部に日本人はぼく以外いません。笑
まあ、日本がそもそも工学大国だから工学系学ぶなら日本がいいし、工学系学びたい人は海外に行って学ぼうとは思わないだろうから仕方なしです。そのかわり、マレーシア人や外国人と話したり、ご飯に行く機会に恵まれています。
マレーシア留学したきっかけは、紛れもなくiBS外語学院の存在が大きいです。そもそも海外なんて全く全然100%行くなんて考えてなかったので、iBSにはいい意味で人生を狂わされました。笑
どうしてマレーシア留学したいと思ったのかは、こちらの記事に載せています。
関連記事:マレーシアのAPUへの大学留学を決定したぼくがした、たった一つのこと
最近は、大学での勉強が難しくなる中、マレーシアでの交流も広がってきて、だんだん面白くなってきました。
また、マレーシアにいながら、本ブログ「えんがわトーク」を運営しています。えんがわっていいですよね。家族や友達と集まっていろんな話ができる雰囲気が好きです。
好きなこと・もの
- 本質探り
- 整理整頓
- ノウハウ探索
- エンジニア系の動画を見ること
- かっこいい人(人がらのかっこよさ)
- 映画館の雰囲気(映画見るのも好きです)
- インド映画「きっと、うまくいく」の主人公ランチョー
- 日本カレーとチーズ(マレーシアではトーサイとクイテオ)
根っからのエンジニア気質(自称)なので、「どうやったらこうなるのか」っていうプロセスやメカニズムを考える癖があり、それが分かるとメチャクチャ喜びます。
基本、自分でどうすればいいか考えるのが好きで、知らないうちに自分の世界に入ってじっくり思考にふけることもよくあります。
その時は黙っていながらも何か考えているので、いきなりニヤニヤしだすことがあります。このことを以前勤めていた会社の自己紹介資料に載せていたら後日同僚に「それ分かる」と言われました。
好きなマンガは、ダントツで進撃の巨人!!
謎が多すぎて先の読めないもどかしさと、登場人物一人ひとりの人間らしさが生々しく表現されているのが好きです。マンガを読んでいたり、アニメを見ていたらこう感情がグイッーーっと持ってかれるのがたまらないですね。
語り合える人がいたら是非!
ときどきポロッと出てくる各キャラの経験に基づいた深い言葉も研ぎ澄まされていて最高です。
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これまでの人生
ドタバタな幼児期
幼稚園くらいの小さい頃はとにかく落ち着きがありませんでした。
そう言えるのも、ぼくが小学校くらいの時に、母が撮影していた小さい頃のぼくのビデオを見たからです。
とにかく幼稚園で列に並ばずに部屋の中を走り回ったり、かけっこではゴールしてもその先にいる幼稚園のお姉さんに猛ダッシュかましたりしていました。
他にも、金太郎状態で逃走したり、お花畑で逃走したり、何かと両親に探させていたようです。
関連記事:あの幼稚園児を取り戻そうと思う
自然といっしょの小学生
小学校時代、ぼくは自然に囲まれてました。
小学校では、運動会、チャレンジランキング大会、田植え、プール開きなどのイベントことが大好きでした。昼休みにはドッチボールをしたり、ケイドロ、ブランコ遊び、縄跳びを使って遊んでました。
特にブランコ遊びは、友達とひたすら研究してました。ブランコをこぎながら頭を後ろに倒してみたり、ブランコのチェーンをひたすら巻いた後に、ものすごいスピードで回転してみたりして遊んでました。
今考えたらかなり危ない遊びです。笑
学校以外では、父と夏休みに5時に早起きして公園にカブトムシやクワガタを取りに行ったり、自分たちのテント道具を持ってキャンプをしたり、お正月前には門松作りのイベントに参加したり、友達と川に魚のもり突きに行ったり、
とにかく野外でのアクティビティーが多くて、ぼくは、自然のにおいが大好きになりました。
性格をも変えた大きな出来事
でもそんな小学生時代だった反面、その後の人生にかなり大きな影響を与える苦い経験をしました。それは、ぼくの友達付き合いが苦手なために起こった2つの出来事です。
エピソード1
ある日、掃除の時間に、泣いている友達と他の友達、そしてぼくがいました。泣いている友達とはいつも一緒にいたのですが、喧嘩をして泣かせてしまいました。
他の友達に謝った方がいいと言われたので、謝ろうとしていましたが、小学生の小さなプライドのせいで「ごめん」のたった一言も言えず、長い長い15分間が過ぎていきました。
正直、謝れなかった時間は、めちゃくちゃ苦しかったです。
その後、先生に喧嘩のことがバレ、昼休み時間に涙を流しながら反省文を書くことになりました。その時の自己嫌悪感は今でも感情として覚えています。
でもこの友達とは次の授業でちゃんと謝り、仲直りできました。あのときほどホッとした瞬間はなかったです。友達に許してもらった時には、また、思わず泣いてしまいました。
エピソード2
このエピソードは、ぼくのその後の人生を大きく揺さぶるものとなってしまいました。
これまでの人生で最大の後悔です。
ある日、公園で友達と3人で遊んでいたときのこと。ぼくのイタズラ心で友達の1人をひどく怒らせてしまいました。その次の日からぼくと彼はあたかも最初から知らなかった他人であるかのように話さなくなりました。
ぼくの方から話しかけようともしましたが、また拒絶されることへの恐怖感が足を止めました。そして十数年以上の月日が経った今でも、かつて友達だった彼とは仲直りができていないので、日本へ帰るときには直接会って謝りたいです。
記憶が定かでは無いですが、確かこの2つの出来事は同じ小学4年生の時のこと。
一瞬の判断が命取りになることを身をもって体験した、人生でもはっきりと記憶に刻み込まれている大きな出来事です。
そして、これら2つのエピソードによって、ぼくは、ほとんどの人と本音で話せなくなりました。
まさに、ロボット人間。
周りの人たちとは、上っ面だけの薄っぺらい関係ばかりになりました。
空っぽのロボット人間
小学校高学年から高校にかけて、ぼくは学校のルールには従い、宿題をしっかりして、ずっと周りの目を気にして授業では何も発言しない、ロボット優等生でした。
勉強は深く考えず、ただ問題が与えられるから解いていましたし、勉強していました。そのおかげか勉強はそこそこできていたので、高校3年生になると特別クラスに入って受験生になりました。
でも受験が近づくにつれ、だんだん高校の勉強量が増えて、周りの友達やクラスの空気感はどんどんピリピリしていきました。ぼくは、そんな気を張り詰めて勉強する環境に違和感を覚え、自分が何のために勉強しているのか分からず、モチベーションは低下。
その結果、第一志望に不合格。第二志望には合格するも、その大学に行く気にならず、辞退しました。そして浪人か専門学校か就職という3つの選択肢に迫られます。
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ロボットを人間へと戻した学院
進路についてたくさん悩んだ後、中学のときに見学したことのあるiBS外語学院に入学し、一年間を通して比較文化を学ぶことになりました。
関連記事:進路どうしよう?と悩む高校生はiBS外語学院へ行ってしまえばいい
皮肉にも、この学院には120%行くことは無いだろうと思っていました(笑)。
そもそも英語なんて勉強する気も無かったし、海外にも興味は皆無でした。ましてやこの学院は、交友関係が苦手なぼくが最も忌み嫌っていた活動があるんです。
それが、「Review for the day」という当時のぼくには全くわけの分からないものでした。
この活動は、1日に1回、クラスメイトや先生の前でその日に学んだことや自分の好きなトピックについて話すというもの。人前に出たくなかったぼくにとっては地獄を見るかのようでした。
しかし、回数を重ねるごとに、自分の意見を話すのが面白くなってくる感覚が出てきて、1度、20分間も話したことがあります。今考えるとものすごい迷惑ですね…。
また、外語学院では、Review for the dayだけではなく、高校の時の友人とは違う考え方を持った18歳から62歳まで幅広い年齢層のクラスメイトたちと交流し、その時まで閉じていた視野が一気に広がりました。
コミュニケーションを変えたiBSマジック
中でも、1番学んだのは人間関係です。
今まで何度となく話している通り、ぼくは人と話すのが苦手だったのでバックグラウンドが違い、性格の違う人とどう話せばいいのか分かりませんでした。人との接し方が分からず、1人でいた方が楽でした。
そんなだったので、最初は周りでワイワイしているクラスメイトに全然馴染めませんでしたが、みんなが優しくしてくれたおかげで、2ヶ月ぐらい経ってようやく心が開けてきました。それからは、狭い範囲での交友関係だったのが変わり、もっといろんな人との交流が楽しくなりました。
これはiBS卒業生の中で「iBSマジック」と呼ばれています。今でもiBSの時間は必要なものだったと確信しています。
ぼくのコミュニケーションの課題
しかし、交友関係の中で、1つだけ今でも分からないことがあります。それは、「特にこれといった用事もないのに友達と会う」という行動です。
でも、iBSにいた時にある友達が衝撃の一言を言っていました。
「一緒にいるだけでいいんだよ」
たぶん、理由なしに友達に合っている人たちは一緒にいるだけでいいと言う理由で合ってるんだろうと思っています。
この感覚を体験してみたいというのが最近の課題の1つです。
人生観をガラッと変えてくれたiBSでは、その学院生活の中で海外へ行くと日本の姿が見えるし、価値観や常識が変わるということをクドいほどに教えてもらいました。
そうしていつしか、ぼくはiBSを卒業した後、海外留学することを考えていました。
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留学に向けて働きに
海外の大学に行くのには自分でお金を工面する必要があったので、資金繰りのために会社に入社しました。いろんな仕事を探している最中に、運良く鹿児島でも大きい会社に入社することができました。しかし、そこは年齢もフィールドも全く違う人たちとの仕事。
周りはみんな大学院卒で知識や経験も豊富だったのに対し、自分にはなんにもなかったので劣等感の塊でした。それでも上司や先輩たちが厳しくも優しく指導してくれたことや、少しでも大学院生との間の穴埋めをしようと必死の思いで働いたこともあって仕事を早く覚えられました。
仕事をこなすのは楽しかったですし、何よりも部門改善をするのが1番楽しく、普通の仕事に加えて、部門改善活動を並行して行っていました。その一環として、プログラミングもしました。
このおかげでプログラミングや自分で何かを作ることの楽しさを知り、メカトロニクスを勉強したいと思うようになりました。
そんな会社員時代を過ごして少し時間がかかりましたが、社会人になって4年目の時に自分の人生を見つめ直し、マレーシアに大学留学することを決めました。
最初の写真はマレーシアに行く直前の壮行会のときのものです。夜に撮ったので十数年前の写真みたくなりました。笑
一心の思いはエネルギーになることを知った
でも当時持っていたお金では留学に足りず、もっとお金が必要だったので、会社とすき家と新聞配達をかけもちして文字通り必死に働いた時期もあります(写真はブレブレです)。
毎日睡眠3、4時間で普通に過労死ラインの勤務時間で過ごしていました。週末に新聞配達が無いときは、金曜夜にすき家で土曜の朝まで働いて、帰って寝てから夕方になって、またすき家で働いたこともありました。
この間に大学留学の手続きも同時並行で進めていました。その忙しさったらなかったです。でも、そんな生活を半年ほど続けましたが、不思議と病気にはなりませんでした。
おそらく大学留学したい一心が支えてくれていたんだと思っています。
ようやくマレーシアへ
そうして、2017年3月末に鹿児島を飛び出し、ようやくマレーシアへの大学留学を達成しました。今は、言語も文化も様々なマレーシアでメカトロニクス工学を勉強したり、いろいろと奮闘したりしながら過ごしています。
マレーシアでのことはブログに書き連ねていくのでお楽しみに!
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今後やりたいこと
マレーシアの大学留学を達成した今、ぼくがやりたい事はたくさんありますが、比較的大きなことは次のこと。
- 中国語を勉強する。
- マレーシアにいる外国人や日本人たちをインタビューする。
- マレーシアを一周する。
- 東南アジアの国々を周る。
これらもそのうち実現させるので、応援よろしくお願いします!長々とありがとうございました。どこかでお会いできることがあったら、よろしくお願いします。
普段、なにげなく考えてることはnoteに更新していきます。こっちも読んでみてくださいね。
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