そこに信用があれば世界中どこにでも行ける

そこに信用があれば世界中どこにでも行ける

「お金があれば、どこにでも行ける」そう思ってた。というより実際にそう。でも、お金だけじゃない。それよりももっと大きくて力強いものがある。それが信用。最近、信用の持つパワフルさをガッシリと感じるエピソードがあった。

会話に見えた信用

いつものようにスクールバスで大学から自宅へ帰っているとき。友達2人と話してた。一人はマレーシア人、そしてもう一人はバングラデシュ人。ふと出た話にバックパッカーで東南アジア諸国を周りたいっていうものがあった。

ぼく:大学生のうちに一度、バックパッカーになって東南アジアの国々を周ろうかなって思ってるんだー

友達:そうなんだ、じゃあバングラデシュにも来てよ。

ぼく: そうだねー。シンガポール、インドネシア、フィリピン、カンボジア、ベトナムとかをグルーっと周ってからバングラデシュに行こうかな。ちゃんとぼくがバングラデシュに到着するときには、そこにいてよ?(笑)

友達: うん、分かった。でも、もしいなかったら、両親に話して家に案内してもらうよ。

ぼく: え、本当に?

友達: うん、もちろんいいよ。

ほんの一分ほどの会話の中に見えたもの、それが信用だった。「ぼくって両親に話してもらえるくらい信用してもらえてるんだなー」と思ったり。自分の国に来た友達を招待するのは普通なんだろうけど。(笑)

信用は誠実の積み重ね

ぼくは、人からの信用にはちょっとだけ自信があったりする。

以前の会社では「どうして野間くんを正社員にしないの?」って怒ってくれる人がいたし、直属の上司に「野間くんの部署での人気がすごいけど何したん?」という謎の質問を受けたこともあった。その頃のぼくにも何が何だかよく分かっていなかった。

マレーシアに来てからは人に様々なところで支援してもらってる。正直、何度も危ない状態になったし、精神がおかしくなりそうな時期もあった。まだマレーシアにいられるのが信じられないくらい。何か不思議な力でマレーシアに引き留められてるんじゃないかと思ったりもする。それは、信用のおかげもあるのかもしれない。

信用を得るのって何もすごく難しいことじゃない。ただ誠実に過ごしていればいい。約束は守って、お礼はして、成績はしっかり残して、言葉遣いを正して、外見もある程度ちゃんとして…そうやって過ごしているだけで信用されるようになってくる。

あとは「こいつなら応援したいな」と思ってもらえれば支援までしてもらえるはず。

信用を得る上で「もっとこうしとけばよかったな」ということがあるとすれば、もっとたくさんの人に直接会っておけばよかったこと。マレーシア留学の資金繰りに結構お金をケチってたので、というよりその会に参加するお金の捻出が難しかったので、参加を断念したことは多々ある。

今考えると、別にケチらなくてもどうにかなったかもしれない。これは今後の教訓としておきたい。

信用は現代の最強武器

信用に焦点を当てて、さっきのバングラデシュの話をよく考えてみると、これってすごいことなんじゃないかと思えてきた。というのも、実はこういう会話は、マレーシアでいろんな人種の人としてきた。

思いつく限りでは、マレーシア、インド、パキスタン、ソマリア、イエメン。そんなバラエティー豊かな国の人たちに「自分の国においでよ」と言ってもらったことがある。イエメンはちょっと怖いけど。(笑)

他にも、インドネシア、ブルネイ、ベトナム、サウジアラビア、エジプト、マラウイ、コートジボワール、モーリシャス、コンゴ…といった国の友達がいる。彼らにお願いすれば、ぼくがそれぞれの国へ旅行に来た時に、案内してもらえるだろう。それ以上に、彼らの家に泊まらせてもらうこともできる気がする。

さらに、彼らにお願いすれば、今挙げていない国の友達を紹介してもらって新たな国の友達を作ることだってできる。自分で言ってておかしいと思うけど、この方法なら世界中どこを旅行するにしても案内してくれる友達がいるということになる。想像するだけで頭がおかしくなってしまいそう。

これが信用の力。お金とは比較できないくらいに大切なもの。結局、お金は価値交換の道具に過ぎない。もちろん、感謝や応援の気持ちを形で表現するのにお金はすごく便利。けれど、人間社会の中で人と人との関係以上に大切なものはない。

人と人とを繋ぐもので目には見えないけど、必ずあるものが「信用」。信用があれば、どこにでも行くことができる。最近は信用のスコア化から、様々なサービスをお得に使えるようになってきた。

これから、信用の無い人は搾取されていく時代に突入していく。信用してもらえることは、まさに現代を生き抜くための最強武器を手にすることと同じ。これに磨きをかけておかない理由はない。