あの幼稚園児を取り戻そうと思う

あの幼稚園児を取り戻そうと思う

自分であって、全く違う自分。それが幼稚園児なんじゃないかと思う。

全くの別人であるもう一人の自分

人間ってだれもが成長するにしたがって変わってしまうもの。なぜならそれは、みんな、周りの環境に適応する生き物なのだから。

そんなことを言うぼくもその一人なのであって、母から話に聞いた昔の自分と今の自分とでは、全くの別人なんじゃないかってくらいの変貌を遂げた。

今の自分から、その変化を振り返ってみて、それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない。

分からないけど、今になって、話に聞いていた全くの別人である幼児期の自分を取り戻したい。

 

自分の中の自分

今の自分でない自分っていうと、頭がこんがらがるようだ。だから、ぼくの幼児期のぼくを別人と思いながら、母から聞いた話を書いてみる。

「お母さん、今日どこ行った?」が口癖

ぼくがまだ幼稚園児くらい小さかった頃、ぼくの口癖は母を困惑させるものだった。いや、誰でもこんな風に聞かれたら頭を悩ませるに違いない。

その口癖は、

「お母さん、今日どこ行った?」

 

我ながら全く覚えてはいないんだけど、この言葉の意味するところは奥深い。

ぼくの母はかなりアクティブな人で、毎日のようにどこかへ出かけていたらしい。それは今になっても変わることはないけど。笑

だから、すっかり出かけることに慣れてしまったぼくは、朝起きると、あたかももうどこかへ出かけてきたような口ぶりで話すようになった。

これには、いくら活動的な母でさえ、反応に困ったものだったと思う。

 

金太郎状態で逃走

また、家でぼくが昔話の金太郎と同じ服装をしていたある日のこと。

今度は父が、ぼくがどこかへ行かないように見ていたらしいんだけど、ちょっと父が目を離したすきにぼくは逃走した。

幼稚園児くらい小さいぼくのことだからそんな遠くへは行けない。でも何が起こるか分からない怖さに慌てた両親は、すぐに近所の人に電話したり、探しに行ったりしたらしい。

バイクを使って探していたぼくの父が、ようやくぼくを見つけたのは、昔からあるスーパーの裏。金太郎姿でパンツも身に着けず、裸足だったぼくがウロウロしていたのを確保したんだとか。

近所とはいえ、家から逃げるなんて普通の子どもだったら、そんなことするどころか泣き出すだろうし、第一、そのスーパーは家から500mほど離れてる。そんな遠くまで逃げ出すなんて、両親は考えもしなかったことだと思う。

その事件があってから、ぼくは、どこそこ行かないようにロープで繋がれることもあったらしい。それだけ聞くと虐待のように思えるけど、当の本人は全くもって記憶が無いので、全然気にしてはいない。

 

お花畑事件

もう一つ、話に聞いた印象的な事件がある。それが、お花畑事件。

母とぼくがお花畑に遊びに行ったある日、母が少し目を離した途端、また、ぼくが消えてしまった。

焦った母は、すぐさま迷子センターへと向かって、ぼくの身長や性別、シャツの色などの詳細をセンターの人に伝えた。これはもちろん、迷子のアナウンスをしてもらうためだ。

でも結局、このときアナウンスが流れることは無かった。

 

というのも、センターの人がぼくの詳細を聞いていると、どうも知っている子供と同じ特徴だった。なので、その人は「あれ?あの子じゃないですか?」と後ろに向かって指を指した。

言われるがままに、母が見た先には、知らないお兄さん(センターの人)と手を繋いでピョンピョン飛び跳ねてはしゃぐ息子の姿があったらしい。

 

迷子そのもの自体、大変ではあるけど、迷子という自覚が無くてどこかの知らない人と遊んでいる迷子ほど恐ろしいものは無いな、と心底そう思った。

 

こんな風に、幼稚園で先生が「みんな、列にならんでー」と言っても、全く列に並ばず、走り回っている幼稚園児だったぼく。

そんな息子なもんだから、とうとう母は「ゆうくん、どこ行った?」が口癖になってしまった。ぼくは、それを中学生のころくらいまで聞いていた気がする。

なんだか別人のような話なんだけど、別人じゃないから今となっては申し訳ないと思う。と同時に、迷子になる心配のない年齢になっても続く習慣を他人に付けさせるって、そうとう酷かったんだろうな、となんだか笑えてくる。

 

あの幼稚園児を取り戻そうと思う

でも、これまでに綴ったアクティブな自分は、成長するにつれて徐々にその存在が薄れていき、小学校低学年くらいまででどこかへ行ってしまった。

今のぼくは、そんな「お母さん、今日どこ行った?」なんて微塵も言葉にしないほど、外へ出ることが無くなった。それどころか、どこかへ行くのを億劫に思うことが多い。

また、迷子になって知らない人と仲良くなれるほどの社交性も今では失われてしまった。むしろ初対面の人と話すと恥ずかしいし、「変に見られないように」と思うせいで緊張して話が堅苦しくなる。だから、なるべくそういった人とは話したくないというのが本心だ。

どうしてそんなに変わってしまったんだろう?そう考えてみると、他人に悪く見られたくない、という心理が働いているからなんだろうと今では思ってる。

 

でもマレーシアに来てからというもの、語学学校や大学などで会った友達がかなり社交的で、向こうからどんどん話しかけてきてくれた。だから自然と自分から心を開いて話ができる。

また、最近会った友達の中に、とても社交性が高く、いろいろな人にすぐ打ち解けられる人がいる。そんな、かつての自分のような人を見たとき、素直に羨ましいなと思った。

と同時に、ぼくもそうなりたいとも。

 

それは今からでも遅くない。

だから、これからぼくは、あの幼稚園児を取り戻そうと思う。