自分のニュートラルはどこにあるか

自分のニュートラルはどこにあるか

感情の起伏が激しくなってくると、ニュートラルの状態に憧れだす。ニュートラルっていうのは、何にも感情を揺さぶられずにただただ自分の素の状態であるということ。仏教でいうところの瞑想状態に近い。実際、みんなニュートラルでいられているのだろうか。

日本人はとりわけニュートラルでいるのが苦手な気がしてる。それは周囲の意見や顔色によって自分の態度を変えているように思えるから。世間体っていうのはなかなかしぶとく付きまとってくる。

ぼくが思うニュートラルは、無敵の状態だと思う。周りで何が起ころうともただただ自分でいるということ。どう例えればいいだろう。いい例えか分からないけど、学校のクラスの中の一人としての自分と家庭で家族の一員としての自分は、果たして同じように自分でいられるのかどうか。ぼくはどっちかというと、それぞれ異なる自分になってる。クラスの中になると、途端に自分の周りの目の数と質が変わるからだろう。この中でニュートラルでいられる人は羨ましい。そんな人はおそらくスクールカーストトップに君臨している人くらいだと思う。

じゃあ、どうしたらニュートラルでいられるのか。ぼくは、ニュートラルでいるには自分の好きなことに没頭することが一番だと考えてる。没頭していれば、自分の意識に他人の介入する余地がないから。

ぼくがこの人いつもニュートラルだな、と思ってる人はメディアアーティストの落合陽一さん。Work as Lifeを唱えてる彼の映像からも文章からも、ただただニュートラルで淡々としている雰囲気が感じられる。そして、常に楽しんでる。そんな彼の雰囲気がぼくは大好きで、憧れてる。

最近は、周りにどんな人がいようが、どんなことが起ころうが、考えなくなってきたので、自分としては理想の方向に進んでこれてるのかなと思いながらも、やっぱりある程度の高さのハードルが目の前に現れると心がつっかえる自分がいる。声をあげてやりたいと思うけど、周りの目を気にしてブレーキがかかってしまうといったように。

現段階では、そんな状況になったときに、まずは手を挙げたり、声をあげてみることにしてる。その後は、どうにかすればいいから。これが案外どうにかなるもので、もし上手くいかなかったら、それはそれで結果オーライになるんじゃないかと。これからニュートラルの自分でいられるようになるのがとても楽しみ。