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自分の価値に気づくのは他人のふとした一言から

2018/3/2えんが話(てつがく的な)

スラマッパタン!

今日は、自分の価値っていうものについて、ハッとさせられた出来事があった。自分は自分の思ってる以上に価値があるんじゃないか。そう信じさせてくれる出来事が。

生徒のたわいのない一言

実は今、マレーシアでマレーシア人に日本語を教えるお手伝いをしているんだけど、今週末には日本へ一旦帰るため、今日が最後のお手伝いだった。

2時間あるクラスは、あっという間に過ぎ去った。その後、生徒たちに、一旦日本に帰るという話をした。もちろん一時帰国だから、また帰って来る。だから、みんなとの記念撮影とかはしなくていいと思ってた。

そんな中、写真撮影をしようとみんなが言い出したから、「いいよまた帰って来るから」と断った。

でも譲らない生徒たち。そして一人の生徒の言葉が胸に響いた。

「私たちが撮りたいんです」

 

他人の価値と自分の価値

このたわいのない言葉に、ハッとさせられた。表情には出さなかったけど。

ぼくは、まだまだ自分の価値を低く見すぎているのかもしれない。それは、ずっと他人の声にビクつきながら生きてきたからだろうか。

 

正直なところ、毎日この殻を懸命に破ろうとしているけれど、なかなか破り切れずにいる。

それは長年、その状況にいることに快適さを覚えてしまい、慣性に逆らいきれずにいるからなんだろう。

しかし、生徒たちの何でもないような、当然として出てくる言葉には、ぼくをさらに前へと背中を押してくれる力が確かにあった。

自分の価値は自分で決めるものではあるけれど、それと同時に他人が決めるものでもある。

そして他人の力は自分よりも圧倒的にパワフルだ。

 

他人にビクつくのは、もう、さよなら

ささいな出来事ではあったけど、今回のことを受けて、もっと自己肯定感と自尊心を強固に持とうと決意した。もっと自分を信じて、自分の思うことを叫び上げよう。

そこに他人の揶揄が入ろうが、批判が入ろうが、知ったこっちゃない。自分の信じることを信じきれないで生きるのは嫌だ。それに他人の意見にあちこち流されるのなんてまっぴらだ。

 

だって、どんな人にも好かれるなんて不可能なこと。

必ず自分に反対の人はいるし、同時に自分に賛成の人もいる。

自分の周りにある小さなコミュニティ内で「あーだこーだ」していても埒が明かない。自分を、考え抜ける限り、際限なく究めて、究めつくして、そこで出た自分の答えを叫ぶ。

そうして集まってきた人たちと一緒にいればいい。他人にビクつくのは、もう、さよならだ。

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